さやかさんの紹介

栗山さやかさんの紹介

栗山さやかさんは1980年3月、兄と姉を持つ三人兄妹の末っ子として静岡県御前崎市池新田に生まれました。地元の御前崎第一小学校、浜岡中学校、池新田高等学校で学んだ後、18歳で上京し東京成徳短期大学の英文科に入学しました。卒業後は渋谷109のショップ店員として勤務し、サロンで肌を焼き、金髪に派手なメイク、流行のファッションで着飾り、お金を稼ぐことに忙しい毎日を送っていました。しかし24歳のときに、小学校からの友人が乳ガンの再発が原因で入院。何度か帰郷した際にお見舞いに行くたびに、病気で苦しいはずの友人は、東京で働くさやかさんの身体の心配ばかりしていたそうです。最後にお見舞いに行った三日後に友人が亡くなり、さやかさんは大きなショックを受け、それまでの自己中心的な生き方に疑問を感じ、人生そのものを見つめ直しました。

さやかさんは自らの意志で一歩を踏み出してみようと、25歳のときにバックパックで海外へ出発。世界約50ヶ国を巡った後、2006年9月からアフリカに渡りエチオピアの医療施設でボランティアを始めました。医師が少なく劣悪な環境の施設に7ヶ月間住み込み、自ら感染の恐れがあるにも関わらず、HIVや末期ガン、奇病で苦しむ子供や女性の看護をしました。そして心を通わせるまでになった多くの患者さんたちの最期を、毎日のように看取りました。この時の壮絶な体験は、自身のブログ日誌をまとめた著書《なんにもないけどやってみた》に記録されていると共に、その後のさやかさんの人生に道筋を与えました。

2007年4月より、東南アフリカ諸国(約10ヶ国)を巡りながら病院や医療施設などでボランティアを続け、2009年から、片親や孤児で身分証明書がなく学校に通えない子供達や、貧しくて病院へ行けない人々が大勢暮らす、モザンビーク北部の町に住み始めました。強盗やレイプ、殺人までが横行するエチオピア以上に過酷な環境にあるこの場所で、さやかさんは何かできることはないかと考え、同年10月に現地NPO法人《アシャンテママ(現地登記名:Chicamuchizio)》を設立、モザンビークの最貧困地区に生きる子供や女性への生活支援を開始しました。さらに病気に苦しむ人々を救いたいという気持ちから、2012年にモザンビークの国家資格「医療技術師」取得のため医療学校に入学。2年半に及ぶ猛勉強の末、2014年、ポルトガル語での試験にもかかわらず、トップの成績で同資格を取得しました。さやかさんは現地語も含め、今でも数か国語を独学で勉強し続けています。

協会《アシャンテママ》では、子供と女性合わせて約500名近くにまで増えている登録者に対し、生活指導、教育指導、医療援助などの支援プログラムを無償で提供しています。具体的には、両親あるいは片親を亡くした貧しい子供達への国語と算数の教育、生活必需品や筆記用具等の提供、女性達には衛生、栄養、病気についてのコンサル、経済的自立支援として畑を耕す指導などを行っています。設立当初はさやかさんの貯金で活動費を賄っていましたが、現在はさやかさんを応援する多くの方々からの寄付金で支えられています。現地従業員への給与を含めた活動費(2017年現在)はひと月17万円前後、さやかさんご本人は無給で活動しています。なおアシャンテママは「ありがとう、みんな」という意味です。

2014年末に約9年ぶりに一時帰国したさやかさんは、約2ヶ月間という短い滞在期間中に母校の小学校などで講演会を開き、自らの経験と貧困の現状を伝え、子供達に「困っている人がいたら助けられる大人になってください。」と呼びかけるなど、次世代を担う日本の子供たちへの啓発活動にも力を注ぎました。さやかさんは「35歳まで生きてこられたこと、恵まれた人生に感謝し、現地に戻ったら病気や貧困に苦しむ人を一人でも多く救いたい。」と語り、2015年3月に再びモザンビークへ戻りました。同じ年、二冊目の著書《ひとりではじめたアフリカボランティア》を出版、2016年からはモザンビークに加え、隣国マラウィ南部の小村においても支援活動を開始し、将来的には病院勤務を視野に入れながら《アシャンテママ》の運営を継続しています。

PAGE TOP