スペインにて出産、女の子が誕生

スペインにて出産、女の子が誕生

2017年10月、栗山さやかさんはスペインにて女の子を出産しました。お相手の男性はスペイン国籍の方です。この前年のある日、さやかさんから「10年ほど前からの友人と結婚を前提にお付き合いすることになり、彼はモザンビークで一緒に活動したいと言ってくれている」という話を聞きました。

孤独に耐えながら沢山の不安や悩みを抱えているさやかさんを、常に心配していた私(河田)はこの話に大賛成しましたが、さやかさんは「命の安全も保障できない場所に仕事を辞めてまで来てもらって、何かあったらご家族に申し訳ない」と長い間悩み決断できずにいました。しかし彼の意志は非常に強く、会社を辞めモザンビークに渡りアシャンテママの活動に無償で参加してくれました。

ところが、彼が2016年にモザンビーク入りした少し前から同国の治安は悪化し始め、やがて反政府軍の反乱が始まり、外国人の就労ビザが受理されない状況になりました。そのため彼は隣国マラウィへの移動を余儀なくされ、さやかさんはモザンビークに留まり、二人は離れ離れで暮らすことになりました。

モザンビーク北部は依然として予断を許さない状況にあり、外国人に対する反感もあったので、さやかさんは隠れるように暮らしていました。彼と二人で過ごした後の孤独と恐怖は計り知れず、次第に食べ物を受け付けず、夜も眠れなくなりました。私は心配で「一刻も早くモザンビークから出るように!」と何度も懇願しましたが、「まだやらなくてはならないことがたくさんあるから」と、出国の決断ができずに月日は過ぎました。

しかしモザンビーク北部の状況に改善の兆しは見えず、さやかさんは「アシャンテママの運営も外国人の自分がいることがマイナスになるかもしれない」と判断、ようやくモザンビークを離れる決意をしてくれました。リツアン号の運転を信頼できる現地の方に依頼し、2016年8月に無事マラウィへ移動、バスよりも安全に移動ができるリツアン号が本当に役立ちました。

さやかさんは避難先のマラウィでも何らかの活動をしたいと考え、先に現地でリサーチを開始していた彼と共に、新しい勉強小屋を立ち上げる準備を進めました。そしてマラウィの勉強小屋が始められる頃にはモザンビークの治安も多少安定したので、さやかさんだけ両国を行き来する生活になりました。

モザンビークに戻ると、さやかさんは「できる限り活動を継続していきたい、医療技術師としても働きたい」との思いから、役所での手続きに奔走、子供たちの笑顔の力に癒されながらなんとか過ごしていました。ちょうどそんな時期に妊娠が発覚、吐き気にも苦しむ日々になりました。

30代後半のさやかさんにとってモザンビークでの出産はリスクが高すぎるため、帰国して出産することも検討しましたが、長時間の空路移動は体力的にも厳しく、彼の親せきが住むスペインの地方に家を借りることにしました。そして2017年10月に女の子を無事出産しました。

さやかさんは、近いうちに赤ちゃんを連れて日本に帰国できるかもしれません。また今後はアシャンテママの運営方法も変わるかもしれませんが、活動は継続していきます。どうか温かい目で見守り、応援していただけると嬉しいです。

《さやかさんを応援する会》代表
河田広美

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